【Story6】健康を失って、出会えたもの。
こんにちは。田島です。
この記事は『私が自分の心のコンパスに出会うまで、そして出会った後の物語』を、複数回にわけて綴っているシリーズ記事です。
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2度目の手術と、リハビリへ
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Story5の最後にも綴りましたが
まさかの自分の誕生日に「再手術宣告(骨がくっついていない)」を受けたときに、また色んな言葉がこみあげてきました。
「えっ、またあの手術するの?また麻酔がきれた後の、あの痛みを経験しないといけないの??!」
「いや、ちょっと待て待て!そもそもまた3ヶ月も休息しないといけないの?そんなに会社休めないでしょ!!無職になるのか??!」
この誰にもぶつけられない戸惑いや怒りや悔しさは、1回目のときよりも計り知れないほど大きいものでした。
しかも、同じ病院に手術をお願いすると
『再手術したとしても、また骨がくっつかない可能性もあります。
また同じ病院で手術をして、仮にまた同じ結果だったときの精神的なリスクを考えると、セカンドオピニオンを利用して別の病院で受けた方がいいと思いますよ。』という言われたわけです。
これは後からみればこの決断はよかったですが
この言葉を言われた瞬間に「この先生は1回ダメだったから自信ないってことなのか?」と疑いが生まれ、それでも地元で通いやすいもの/すぐにでも手術したかったこともあり、何度もお願いしました。
このやりとりが3回ほど繰り返されるものの、結局受け入れてもらえなかったのでした。
このやりとりだけで1ヶ月も経ち、会社の人事の方からも「復帰の目処はいつ頃たちそう?」という連絡が頻繁に入り、なんかもう板挟み状態でとにかく焦る一方でした。
そこから埼玉の1番大きな大学病院を紹介してもらいセカンドオピニオンを利用したものの、「うちではこの手術は厳しいですね」と言われる。
ほんの些細な骨折だと思っていたのが
手術病院が見つからないことにどんどん不安と焦りが大きくなり、「このまま足が治らずに歩けなかったらどうしよう…」「なんかもう疲れた…」「もういっそ人生終えた方が楽かな……」というくらい精神的に追い込まれて、かなり危うかったです。
自分の意志さえあれば
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そんな自暴自棄になりかけたときに
ふと「じゃあ、ココで人生やめるの?」という声が、自分の内側から聞こえてきた瞬間に
『イヤだっ!!!!!』
そんな声が聞こえて、気づいたら号泣していました。
それがきっかけで、なんか吹っ切れた。
『どんな結果になったとしても全て受け入れてやろうじゃないか!絶対に治してやるわ!!!』
そう心に決めた数日後に訪れた病院で「手術すれば骨はくっつくよ」と言ってもらえる医師に出会い、さらに会社からも「長期休暇」の許可をいただき、不思議と流れが好転していったのでした。
どんなに理不尽な現実(出来事)が起きても
自分の『意思』さえあれば、いくらでも人生は創れるんだ!!!
このときの経験から、そう肌で学びました。
あの絶望の数ヶ月が嘘だったかのように
無事に再手術は成功して、また2ヶ月ほどの自宅安静期間へ突入していきました。
改めて「いまの自分と、これからの自分と向き合う」という時間をプレゼントしていただくなかで
一度『周りに流されずに自分を大切にするんだ!』と決めたはずなのに、その気持ちを忘れて、結局周りの声や反応を気にして、自分の気持ちをないがしろにしていたんだな
前回のときには気づかなかった自分の一面に気づくのでした。
ただ、今回の健康を失った経験は
年齢とかは関係ない。
いつ何が起こるかなんてわからない
いくら心が元気だったとしても
身体の健康を失ったらできることは限られる
そんな大きな学びとともに
周りの顔色や反応を気にしている場合じゃないし
もっと自分の意思で、自分の人生を創っていこう!!!
そう自分の中で改めて、強く決意することができました。
(余談ですが)
その後、6ヶ月の松葉杖生活・リハビリを経て
久しぶりに「左の靴」を履いて「自分の左足」で地面に立てた時は、もう言葉にできないほどの感情が溢れ出ていたことを書きながら思い出した。
この時の『自分を生きる』という決意が
会社へ復帰した後に、これまでの自分だったら決してやらないような選択と行動をするのでした。
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