【Story4】そしてまた、同じことを繰り返す
こんにちは。田島です。
この記事は『私が自分の心のコンパスに出会うまで、そして出会った後の物語』を、複数回にわけて綴っているシリーズ記事です。
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学ぶことは楽しい!
が、それ故におかしな方向へ
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Story3で綴ったすべてを失った経験からの1ヶ月は、頭の中では「早く自立しないと」「早く社会に戻らないと」という声は聞こえてくるけど、心と体は何もする気力がなく、ひたすら休息期間を過ごしていました。
2ヶ月目には少し元気になってきて、だんだんと自分の「これから」について考えらえるようになり、色んな声は聞こえながらも『色々とあったけど、やっぱり人の人生に関わる仕事がしたい』という気持ちが消えませんでした。
そうして懲りずに?、また人材業界への再就職を目指して4ヶ月目から転職活動をスタート!!
お陰さまで、3ヶ月ほどの転職活動を経て「人材紹介会社(転職支援会社)」から内定をいただくことができました。
(ちなみに転職した当初、1番嬉しかったのは「毎月決まった額のお給与がいただける」でした)
(固定給がどれだけ自分のメンタルの安定につながるかも同時に痛感した瞬間でした笑)
転職後はまた慌ただしい日々が戻り、経済面でも少しずつ余裕が生まれてきました。
すると次第に『また同じ失敗は繰り返したくない。こんな自分を雇ってくれた会社にももっと貢献できるよう、もっと自分を成長させるんだ!』という気持ちが湧いてきた。
入社して半年後には、休日は「能力開発のセミナーや研修」に足を運んだり、そこで新しい人と出会ったり、自己啓発やビジネス本も年間100冊以上読んだりと、なんか休日も平日と同じくらいバタバタした生活を過ごしはじめました。
気づけば、「100万円」以上のお金を自己啓発に投資していたのでした。
初めは色んな知識や技術を知り、普段とは出会えない人たちとも出会い、そこから自分の世界が広がっていくことに心から楽しんでいました。
ですが、1年くらいもすると、学ぶ目的もズレていく。
そもそもの目的は『今の自分をよりよくするため』『会社で営業成績を残して恩返しをするため』というものでした。
それがいつしか、「どれだけ新しい知識や技術を知っているか」「どれだけ人からすごいと思われるか」というような知識コレクターへと変わっていってしまったのです。
なので次第に「現実を変える」ことよりも
後から振り返れば「こんなに知っている俺、すごくない?」「もっと頑張っている俺をみてよー!」みたいな態度に変わっていき、いけ好かない口だけ人間になっていったのでした。
年間100万円投資しても
営業成績は、「中の下」
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そうして休日は新しい知識や技術を学んでいるのにも関わらず、会社での営業成績は「80人中50位の中の下」という現実でした。
しかも私よりも成績が良い先輩や同僚、さらに後輩たちをみていると私のように休日を使ってわざわざお金を払って学びにいっているわけではなかったのに、です。
そんな事実(結果)が受け入れられずに
周りの成績いい人たちを眺めながら
『自分は休日も返上してこんなに学んでいるのは偉いな!あの人よりも実績は下だけど、自分の方が「人間的な価値は上」だ!!!』
そんな意味がわからない主張をして自分を励ましているほど、残念な奴でした。
(そうしないとメンタルが保てなかったんだと思います)
当時の私はそうやって自分より上と判断する人にはそんな野次を吐き、逆に自分より下と判断した人は見下す。
そんな、見栄とプライドだけが高く、口だけは達者な最低クソ野郎でしたね。はい笑
もちろん、頭のどこかでは気づいていたと思います。
「こんなに投資しているのに、現実が変わっていないのは何かおかしいな〜」と。
ですが、その事実を認めてしまったらこれまでの頑張ってきた何かが全てなくなってしまうんじゃないかという恐れがあって、どうしても認めることができませんでした。
そこからは『まだまだ学びが足りないだけだ!もっと変わるためには学ばないと!!!』と自分でも歯止めがきかなくなり、見事セミナージプシーの誕生です。笑
そんな現実から目を背け続けて気がつけば「3年」の時間が経ち、毎月安定収入をもらっていたのにそのお金はほとんど自己投資と借金の返済に使ってしまう。
結局、いつも「お金がない」と嘆いていました。
強制終了
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そんなある日、「事件」が起きました。
(よくもまぁ、色々と起こる笑)
事件とは、朝の通勤中に会社の最寄り駅のホームの階段を登っていると、上から勢いよく降りてくる人と肩がぶつかって私だけが階段からそのまま転落。
自分でもよくわからないまま救急車で病院まで運ばれて、診断結果は【全治3ヶ月・外出禁止】と、宣告を受けたのでした。
実はこの経験が、のちに「独立(起業)」につながるきっかけになったのでした。
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