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【Story7】周りの評価を気にした自分からの卒業



こんにちは。田島です。

この記事は『私が自分の心のコンパスに出会うまで、そして出会った後の物語』を、複数回にわけて綴っているシリーズ記事です。

*他のStory記事に興味がある方はこちら
 
 

復帰後の違和感
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2回の入院と、トータル10ヶ月の松葉杖生活を通して、ふたつ自分と約束しました。

ひとつは『今度こそ周りの顔色や評価ではなく、「自分の意思」で自分の人生を創っていくんだ!!』という約束。

もうひとつは、これだけ長期間休職しても席を残してくれた会社に対して恩返しをするという約束です。



ですが、いざ誓ったものの
人から嫌われることを恐れて、波風を立てることを避けていたこれまでの私にとって『会社という集団社会のなかで「自分の意思」を出していく』ということは簡単なことではありませんでした。

【これまでの自分】と【これからの自分】の狭間で、最初はもうめちゃくちゃ揺れました!笑



私が当時勤めていた転職支援会社では、『1日でも早く内定(転職成功)に導く』というスピード主義を大切にしていた。

初回のキャリア面談のときも『90分以内に終わらせるように』という暗黙のルールがあり、それ以降は基本電話とメールでのやりとりになっていきます。
そんな限られた時間のなかで「経歴」だけではなく、「PRポイント」や「その人の人柄」を発掘していくことが求められるわけです。



ただ、それは会社の都合であって
3000名以上の求職者の方の相談を受けていると

条件的な希望はあっても、『そもそも自分がどう生きたくて、どんな働き方をしたいのかがわからない…』という葛藤を抱えた人が8割以上という状況にも直面していました。
 

 
 

この状況に対して休職前も色々と感じてはいましたが、改めてこのギャップに直面したときに、強い違和感とこんな気持ちが生まれてきました。
 

1日でも早く内定をもらったとしても
本人のなかで「自分の決断」に納得したままだと、何かが起きたときにきっと言い訳にしたり、後悔したりするのではないだろうか。

そんな気持ちで入社をしたとしても
本人はもちろん、それは採用した企業にとっても不利益なのではないだろうか。


「キャリアマッチングとは何か?」
「お客様のため、って何だ?」
「今までのやり方のままでいいのか?」

そう考えていくと、仮に面談時間が長引いたとしても
最初に相手のことを知ることが、自社にとっても採用先の企業様にとっても大事なはずだ!!!

 
会社から1歩離れたからこそ、これまでの違和感に気づけたように気がします。

勇気をだして、想いを伝える
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ただこのやり方を貫くためには
いまの会社のルールから外れることになるので、いざ取り組もうとした瞬間、色々と考えすぎてひとりモヤモヤ・・・。

ですが、そのまま何もやらないまま自分の本音を押し殺してしまったらまた今までと何も変わらないじゃないか!と思い

『1人1人の本当の魅力や願望をヒアリングしたいので、面談時間を最低2時間させてほしい』と、当時の上司や部門マネージャーに対して想いを勇気をだして伝えてみました。


すると、上司たちからは
『それは自分の能力次第でいくらでもなるから、90分のなかでしっかりやってほしい』という正論が返ってきました。

それでも自分のなかでもゆずれなかったので、「勝手に」自分で面談時間を長くしては、その度に何度も上司から怒られる日々を過ごしており、いつしか問題児認定。

そしてある日、個別に上司と部門マネージャーから呼び出しされて厳重注意を受けるまでになりました。


ただ、そのときに何を血迷ったのか
『あと3ヶ月だけ時間をください!それで何も成果が出せなかったら、そのときは会社の方針に従います!!』と、上司と部門マネージャーに啖呵をきっていた。

(言葉だけにしたらカッコいいけど、実際は面談後「どうしてあんなこと言っちゃったんだー」とめちゃくちゃ後悔していました笑)

勝負の3ヶ月がはじまった
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そんな威勢の良い啖呵をきったものの、実際は最初の1〜2ヶ月目は何の変化も生まれず、内心かなり焦っていました。

ただ、それでも味方になってくれる先輩たちのお陰で何とか気持ちがを保ちながら、約束の3ヶ月目にようやく状況に変化が生まれてきたのでした。

 
 

その結果によって多少の制限もありながらも、当時の上司やマネージャーにも理解をいただいて、なんとも言えない喜びがありましたね。


それからも『お客さんに喜んでもらうために何ができるだろう?』と問い続け、その時できることに取り組み続けました。

ときには、お客さんが他社の紹介会社と迷っているときにも、自分(自社)の成果を一旦横において『本人が大切にしている転職軸の確認からそれぞれの会社に入った後のメリット・デメリットを一緒にシミュレーションをして考える』という関わりをすることもありました。

それも『自分の決断に後悔してほしくない』という目的があったからできた選択だと感じています。


この結果、お客さんからも「田島さんの関わりにすごく心打たれた」といって条件に差が少なければ、私がサポートさせていただいた企業様を選んでくれる人が増えていったのでした。

そんな関わり合いのなかで自分の決断に自信をもって転職活動を終える人が増えていったことがなによりも喜びでした。



そして復帰してから1年間後には
100人中50位前後だった私の営業成績も、「トップ3」という成績を残すことができ、会社から表彰をいただくまでになりました。

この経験は実績以上に、自分の意思で、自分の人生は創っていけるということが『確信』に変わった瞬間でもありました。

自分のやりたいことを、全力で!
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『その時自分がやりたいことを全力でやる』と決めてから、本業のキャリアコンサルタント以外にも限られた時間のなかで、全力でやりたいことをやりはじめました。


(例)
✔️私が尊敬している人が主催する会員800人以上いる社会人勉強会の運営局長を2年半関わる

✔️写真家として「プロフィール撮影」「セミナー撮影」「カメラを使ったワークショップ」など開催

✔️信頼している仲間とともに「夢を見つけ、その1歩を踏み出せる場所」として学びのコミュニティを企画・運営


▼当時の活動の写真をいくつか紹介▼

初めてのカメラワークショップ
みんなでカメラで遊ぶ
月1回の勉強会「我楽多塾」
やりたい!を応援するコミュニティ
「チーム癒し系」
 

これまでの口だけ人間とはちがい
周りの先輩や仲間たちのお陰さまで、自分の想いが『実践・行動』をベースで少しずつ実っていきました。


そんな全力の1年が経ったころに
今の会社も勤続5年が経とうとして、年齢も29歳という20代最後という節目も重なり、「これから」について漠然と考えはじめる。


・このまま今の会社で「上」を目指すか
・新しい会社に「転職」をしてチャレンジするか
・長年の興味のあった「独立(起業)」をするか

この気持ちが生まれてから
かれこれ6ヶ月もハッキリと答えはでなかったのですが


何でもできるとするなら

今のキャリアコンサルタントではできない、1人ひとりともっと深く関わり、その人の根っこにある価値観や生き方を見つけるお手伝いを、仕事にしてみたいな

この想いがどんどん強くなって、「独立(起業)」への道が見えてきました。

キャリアコンサルタントをやっているからこその転職市場を理解できていたのもあり『20代最後で仮に1年やってダメでも転職できるだろう』という安心要素も大きかったですね。


そして、最終的には『今までやりたいことを反対してきた父親が背中を押してくれたこと』が決め手になり
2015年12月に会社員生活を卒業して、『独立(起業)』の道へと進むことに決めました。
 

ちょうど2015年12月の写真をみつけた
 

ここまでが「独立(起業)するまでのストーリー」です。

大学生のときに訪れたフィリピンで人生観が変わり、恩師との出会いと別れ。

そこから天職だと思っていた仕事での挫折。
2度目の人材業界への挑戦と、怪我をきっかけに「口だけ人間の自分」「周りの評価を気にしてずっと生きてきた自分」という弱さに直面。

自分を本気で変える決断をしてからの、やりたいことへの挑戦。


その瞬間瞬間は目の前のことでガムシャラでしたが
こうして言葉にして振り返ってみると


それを今の自分が望んでいるかはわからないけど
自分の身に起こることは「自分をより自分らしくするため」に必要なことしか起きていない

そんなことを感じます。


ひとつの終わりをむかえ、新たなはじまりです。

起業での経験は、また色んな出会いをくれました。

Story8へつづく







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