新しい暮らしかた「生きる暮らし」
こんにちは。たじーです。
自然という大きな存在に「敬意」をもって
人がそこに暮らし、ただ日々を懸命に生きている
この言葉を、一言で表すと 「生きる暮らし」という言葉が、しっくりくる。
暮らしだけではなく、生きることそのものから、日々を考え過ごすようにする
そこから初めて見えてくるものがあり、大切にしたいことも変わってくるように感じます。
そして、これまでずっと言語化できなかったけど
この「生きる暮らし」は私自身のテーマでもあったんだ…と直観的に思った。
暮らしをよりよくするとなると
どうしても「物」や「住まい」といったハード面に意識が向いて、そこを変えようという流れを感じています。
ただ、わたしにとっての「暮らしをよりよくする」とは
もっとシンプルなことで、意識さえすれば「誰もが、今から」はじめらえるようなものを大切にしていくというニュアンスです。
例えば、毎日とる「食事」や、その食事の「味わいかた」や、毎日する「睡眠」や、日々の「時間」の使いかたなど。
けど、いざ言葉にしてみると
これは暮らしというよりも、もしかしたら「生きる」という世界なのかもしれないなと思ったわけです。
だからといって、「生きる」と「暮らし」はとても近い距離感にいるような感覚もずっとありました。
どちらかではなく、どちらも。
そう考えていくと、それはもう新しい暮らしかたな気がしました。
それを言葉にしたのが「生きる暮らし」です。
そして、この糸島という土地は
何年も、何十年も、何百年も、いやそれ以上の月日のなかで、色んな人の想いや敬意ある行動によって「生きる暮らし」が空気のように根づいる
そんなことを、色んな人や食や物や場所に出逢うなかで最近とても感じています。
(あくまで私個人の感覚です)
(とくに裏付けや根拠はありません)
非日常を、日常へ
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今回の糸島への移住のきっかけのひとつに
『今まで”非日常”だった自然という存在を「日常」へ変えてみたら、そこから何が生まれるんだろう…?』というそんな小さな好奇心がありました。
関東にいたときは
常に何かを追い求めねばならぬ空気を感じ
それがどこか称賛もされる感じに
わたしは、ずっとそれが苦手だった。
人に出逢うことも、学ぶことも、チャレンジすることも、好き。
だけど、それも行き過ぎると途端に息苦しくなる感覚もありました。
だから、バランスをとるために
定期的に片道1〜2時間という時間をかけて、できる限り純粋な自然へと足を運んでいた。
このとき、私にとって自然は「非日常」でした。
非日常とは、特別なもの。
だから、どうしても 「日常」と切り離されてしまわれがちで 「日常」に根づかない感じがありました。
なので、その非日常の環境を 『日常』に変えて
日々を営んでみたときにそこから何を感じ、生まれるのか
それを、自分の肌/五感で知りたかった。
まったく縁のゆかりもない土地への移住は、正直色んな不安がありました。 だけど、ほんのちょっとだけ、この好奇心がまさったんだと思います。
今回友人が遊びにきてくれたときに
「ほんと、ここは穏やかだね」と言っていて
わたしも、初めてきたときに同じことを口にしていた。
その理由は、きっとたくさんあるし
それを少しずつ知っていきたいと思っています。
だけど、きっとそのほとんどが
言葉と根拠で説明ができないと思いますし、それでいいとも思っています。
まだ暮らして2週間ですが
美味しい食材/ごはんに出逢うたびに
やさしい風や自然に触れるたびに
現地の人の空気に触れるたびに
何かに対する「尊敬」を、感じるんですよね。
「生きる」そのものが
そして、「共存」という深い何かが、ここにはあるような気がします。
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