いつでも手を差し出せる自分でありたい
忙しく動きまわる日々は嫌いじゃない。
止まっているよりも、色んな挑戦や経験がしたい。
だけど、忙しすぎないことを大切にしています。
それはわたしが大切にしたいと思う人からヘルプが出されたときに、手を差し出せるような自分でいたいと思っているから。
そして、よき余白はよき閃きというご縁を運んでくれるから。
わたしはコーチングという相談業を生業にしているのですが
私のクライアントさんは職業や肩書きに関係なく、誰かのために日々懸命に生きている方が多い。
そのうえ、やさしい心や感性をもっている。
そんな人たちだからこそ突然大きな岐路に立たされたり、突然心が大きく揺らいだり、突然言葉にできない感覚に出会ったりする。
今朝も、とある企業の経営者さんから珍しく電話がかかってきた。
話を聴いてみるとその人自身にも、会社にとっても「重要な決断」のタイミングでした。
話を聴いてほしいのと、客観的なフィードバックがほしいとのことでした。
60分ほど対話を重ねて「決めました!」と心が決まったよう。
最終的に決めるのはいつだって、本人です。
ただ強くて頼もしそうに見えても、ひとりの人。
それが大切な存在・コトであればあるほど決断に迷うこともあれば、弱音や話を聴いてほしいことだってありますよね。
そんなときに対話相手に選んでもらえることはとても有難いです。
ですが、こんな出来事があると改めて自分が日々何気なくとっている選択肢を見つめ直すきっかけをいただく。
「日々のその忙しさは、何のため?」
「心や時間を注ぎたいところに注げている?」という問いがいつも生まれる。
(あなただったらこの問いに何と答えますか?)
そこでいつも思い出すことは私は順調なときにいる存在ではなく
その人にとっての言葉にならないような「転機」にこそ、存在しているということ。
だからこそ、今回のような想定外のときにスグに手を差し出せるような自分で在りたい。
改めて「忙しくしすぎない」「余白」を精神的にも、時間的にも、大切にしたいと思いました。
そしてなにより、目の前の人にしっかり力となれるよう私も日々挑戦・進化していきたい。
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