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真の強さとは、なにか


こんにちは。たじーです。


実は本日深夜2時に
ふと目が覚めて、こんなメッセージが突然ありました。

これは私自身向けだけではなく
ご縁ある方の中にも必要な方がいるような気がしたので、シェアさせていただこうと思います。


〜・〜・〜・〜

良い悪いというメガネを一度はずして
いまの自分が、どこかで「ムリ」をしていることがないか、尋ねてみよう。

気づいていないわけではない
ただ、気づかないようにしているから
きっとその声は、ものすごく小さい

そして、その声に従うと、きっといまの何かは確実に変わってしまう。


その瞬間はザワザワだけど
きっと、少し先からみたら、それはとても「自分」にとって意味があり、笑顔につながるもの。


わかっている、勇気がいることは。
だからそことまっすぐ向き合う選択は、とても勇気がいるんだよね。


言葉にするより、口にするより
行動で示すのはずっと難しいのも知っている。


頂上に辿り着いてしまえば

「なんであんなの握りしめていたんだろう?」
「な~んだ、こんなことか」と思えることでも

辿り着くまでは

やっぱり今の自分にとって都合が悪かったり
周りからの反応が恐かったり
それによって自分のこれまで積み上げてきたことが一瞬で崩れてしまいそうな感覚になったり

色んな声が聴こえてくることでしょう。



その気持ちすらも 「肯定(良い)」も「否定(悪い)」もしない

ここでも 「ムリ」に理解しようとしなくていい
本来は、ね。

きっとそんなことを
私に言われなくたって、わかっているね


だけど、目の前の現実が
周りからみて幸せで、恵まれていて
自分でもそう感じているのに

・自分の心が軽くなかったり
・行動するときに腰が重かったり
・何か力が入っていたり

そんな感覚があったら厳しい表現かもだけど
それは、【わかっていない】わけです。


そのわからないすらも、まずは「認める」ことから、はじまるのです。


自分のなかの「否」を認めること

それは力技では決してない
しなやかで、とても尊い強さです。


その選択そのものが 自分への「やさしさ」であり、「愛」であり、「歓び」につながっているのです。



さて、これで最後です。

この言葉に触れながら
「私のことかも…」と思ったなら、ひとりでどうにかしようと歩むことを横において、誰かに力をかりてみるといいですよ

すでに「誰か」の顔が思い浮かんでいると思うから。


けど、それも勇気がいるね。

きっとその相手は
自分と同じ目線でありつつも、共感目線というわけではない

おそらく自分がこんな心や佇まい、生き方を 「すでに」歩んでいる人のはず。

だからザワザワしても、むしろ「正常」

そこからでしかみえない景色や 自分との可能性に出逢えるよ、というメッセージ。


そのピンっときた感覚、どうか大事にね。


〜・〜・〜・〜


あえて、太文字にもせずに、そのままを綴りました。

必要な人へ、どうか届きますように。
 


 

ちなみにもし、その存在に
「私」が思い浮かんでいただけたなら、とても光栄なことです。ありがとう。  

そして、メッセージもお待ちしています🌱

ぜひ対話をしましょう。


私のコーチングという場は、言葉にできない、こんな感覚のときのために存在しています。
 

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